開発秘話!始まりは、母のために、母にいつまでも健康に美しくいてほしかった。

実は、母のためにスクイーズボディプログラムを開発しました。
 
こんばんは
スクイーズボディプログラム主宰
美体造形家の水野志音です。
今日は、
なぜ私がスクイーズボディプログラムを
創ったのか開発秘話をお伝えします。
私は1987年2月13日
三重県で産まれました。
私の母は、
なかなか妊娠ができない体だったため、
姉と私を産むまでは
治療を重ね相当な苦労をしたそうです。
妊娠が合わず、
私が産まれてからは、
国の重度指定の難病でもある
橋本病と膠原病にかかってしまい、
 
私が小学生の頃は
寒くなるとずっと寝たきりのように
寝ていたのを覚えています。
 
常用しているお薬はすでに
30年以上も飲んでおり、
 
薬を飲んでいれば元気なのですが
薬を飲まないと寝込んでしまうのです。
 
私が小学生の時は
冬になると血が固まってしまい
血を抜きにいったり、
 
1度具合が悪くなると
1週間寝込むなんてよくありました。
 
そのおかげで小学生の時から
家事はなんでもこなせるようになりました。
 
もともと美容好きの母の影響のため、
小さい頃から、私も美容が大好きでした。
シャネルの口紅で遊んでは
母に怒られたり笑、
当時初の美顔器では
小学6年生ながら
お手入れに励み、
スクリーンショット 2018-10-25 21.38.50.png
テーピングダイエット
サプリメント
置き換えダイエット
断食
黒豆の煮出しダイエット
腹筋マシーン
サイクリングマシーン など
ダイエットも数々のものを
試しました笑
 
母親の膠原病は
ホルモンが出すぎてしまい
放っておくと太ってしまう病気のため、
母はいつもダイエット情報を
追い求め、私も一緒になって
試したりしていました。
 
そのおかげで私も
小学6年生の頃から
割と美容感度が高い
子どもだったかもしれません。
中学生でネイルにハマり、
大学4年間はネイルスクールにも通い
そこからエステの道へと
進むことを決意しました。
 
私がエステスクールを卒業して
痩身サロンに就職したのも
独立しても「お腹痩せ」や「ボディ」
一筋なのは
 
私自身が−17kg減量した経験
スクリーンショット 2017-10-28 04.01.40.png
私と同じような悩みを抱えた
女性のコンプレックスを
解決したいと思ったのも
もちろんのこと、
 
一番身近にいる女性である
母親のためでした。
 
今では相当元気で
(病気には全く見えません)
46歳で主婦から
アーティストとして
世界で賞をもらうまでになった母親のことは
一番尊敬している女性です。
(写真中央が母)
IMG_3126.jpg
病気の影響で、
更年期障害も相当ひどくて
学校から帰ると寝込んでいた
母を見ていた私だからこそ
美容好きな母のために
私がエステティシャンになって
母のためにマッサージをしてあげたいと
無意識に思ったのかもしれません。
私のサロンのお客様に、
40代、50代女性が多いのも
きっと小さい頃から、
美容好きの母を見て、
その年代のお悩みに寄り添いたいと
思ってきたからかもしれません。
ミセスジャパン.png
筋膜リリースを、
私が初めて体験した時には、
こんなに効果がある技術なら
コリ固まった体や
太りやすい母のために
太らなくなるようにやってあげたい
と思い習得したことがきっかけです。
 
子供は母親が
健康で美しく輝いていてくれることが
何よりも嬉しいのです。
だからこそ、
私は40代、50代女性の
代謝が落ちてお腹がなかなか痩せないと
お悩みをかけている女性のために、
スクイーズボディプログラムを創りました。
今はもう、私も31歳なので笑、
40代女性とは親子だなんて言えませんが、
私が小さい時に感じていた
母親世代の人の美容のお手伝いをしたい
その想いで施術をするからこそ、
スクイーズボディプログラムは
結果を出し続けているのかもしれません。
あなたにも、
もしダイエットしてもお腹が痩せないというお悩みがあるのなら、
ぜひ一度体験してみてくださいね。

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